浄土宗3分WEB法話「無財の七施」

聖号十念

長引く梅雨の中にも、夏本番の気配がただよう時節となりました。

この度、「浄土宗3分WEB法話」というコーナーに動画出演をさせていただきました。ご笑覧賜れれば幸いに存じます。

ページ下部に元原稿も掲載させていただきました。


「浄土宗3分WEB法話」には、他にも沢山の浄土宗僧侶の法話が掲載されております。お気軽に是非ご覧ください。

【無財の七施】元原稿(放送時に少しアドリブが入っています)

皆様こんにちは。私は松光寺というお寺で住職を務めております石井綾月と申します。

本日は「無財の七施」と題してお話をさせていただきます。

「無財」とは、お金をかけずにできる、という意味です。「七施」とは「七つの布施行」。見返りを求めずに、人に何かをしてさしあげる修行を指します。七つの中身について、順番にご紹介させていただきます。

  • 1番目は「眼施(げんせ)」。やさしいまなざしです。
  • 2番目は「和顔施(わげんせ)」これはほほえみです。
  • 3番目は「言辞施(ごんじせ)」温かい言葉のことです。

「笑顔でおはよう」というだけで、3つの修行が同時にできているということになります。

にっこり笑ってご挨拶。これだけでも、仏様から見たら素晴らしいことなのです。

  • 4番と5番はどちらも「しんせ」と読みます。4番目の「身施(しんせ)」は、体を使う手助けです。ボランティア活動や、重い荷物を持ってあげるなど、目に見える形のお手伝いを意味します。
  • それに対して、目に見えない形が5番目の「心施(しんせ)」です。「心施」には様々な形があります。思いやり、気配り、気遣い、心配り、心配、人を慈しむ心などです。こうした様々な心遣いのおかげで、お互いがうまくやっていくことができます。「お疲れさま」と一言声をかけるのも思いやりの現れです。
  • 6番目は「床座施(しょうざせ)」です。「席を譲る」という意味があります。自分もくたびれているのに、それでも誰かに席を譲るのは難しいことです。だからこそ、仏様も認める立派な修行だということです。また、座席を「ポジション」や「立場」と読み替えると「次の世代のために自分の立場を譲る」という意味にもなります。ベテランの方だからこそできる譲り方があるということです。
  • 最後の7番目は「房舎施(ぼうしゃせ)」です。もともとは旅人を雨宿りさせる、宿に困っている人を泊めるという意味でしたが、現代では「お客様をおもてなしする」という意味になっています。また、雨に降られている人を助けるという意味から、傘に誰かを入れてあげる、という意味もあります。

無財の七施、いかがでしたでしょうか。普段みなさまが「簡単に」「何気なく」「当たり前のように」してこられた行いが、実は尊い修行であったというお話でございます。

ただ、どんなに簡単に見えても、「全てのことを」「いつも」「ずっと」「完璧に」続けるのはとても難しいことです。

どんな人にも調子が悪い日「おなかがいたい」「こころがつらい」という日はあります。年を取るにつれ、誰かになにかをしてあげるより、してもらう事の方が増えていくでしょう。そしてまた、「ありがとう」「ごめんなさい」を言いたくても、相手がこの世にいらっしゃらない、ということもありえます。

そのような辛さやお悩みに対して、何とか力になろう、お心の支えになりたい、と思われたのが、浄土宗のご本尊、「阿弥陀仏様」という仏様です。

阿弥陀様の造られた「極楽浄土」という国には、ありとあらゆる悩みや苦しみがありません。みんなが阿弥陀様に護られ、安心してずっと暮らしていくことができます。ですから「気持ちが届かない」「気持ちがすれ違ってしまう」という苦しみもないわけです。皆様が「あのときはごめんね。ありがとう」という気持ちで「南無阿弥陀仏」と唱えれば、阿弥陀様は必ずそのお気持ちを亡き方に届けてくださいます。

「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀様、どうぞよろしくお願いいたします」というお祈りの言葉です。

お墓の前や、お仏壇の前、何かの折に亡き方をふと思い出されたとき、「南無阿弥陀仏」とおとなえいただき、お気持ちを託していただければと存じます。ご視聴いただき、ありがとうございました。それでは、最後に十遍のお念仏をもって、本日のお話の締めくくりとさせていただきます。

同唱十念 南無阿弥陀仏