明るく、正しく、仲良く

新緑を吹き渡る風もさわやかな5月、「令和」の時代になって早20日が経ちました。

「令和」の由来は「万葉集」の「梅花の歌」という一節だそうですが、「梅」という花は、「長い冬の厳しさに耐え、春の始まりに美しい姿や馥郁たる香りを届けてくれる」という点で、仏教でもおめでたい花として受け止められております。今は季節外れですが、当山にも梅の木がございます。万葉集が編まれた時期から時を下り、平安時代からは桜の花見が広まりましたが、桜というのは実は香りがない花で、古文で「桜のにほひ」というのは「桜の花のほんのりとした色づき」という意味だそうです。香りを楽しむというと、やはり梅の花だったのですね。

「令」が「おめでたい、美しい、すぐれた」という意味で、「令息・令夫人」という敬称にも使われていることには、報道を見て初めて気づかされました。「令子様」というお名前には、我が子の誕生を寿ぎ、「幸多いすぐれた人になって欲しい」という親御さんのお気持ちが込められているのだな、と暖かい気持ちになりました。

「和」という字が再登場したことにも少し驚きましたが、「みんなで梅の花を楽しみながら一緒に歌を詠もう」という「梅花の宴」において、「風もやわらかく、みんなが和やかに楽し気にしている」という情景が心に浮かびました。浄土宗は日本で生まれた宗派なので、「日本ならではの良さを生かしていこう」という意味もありがたく受け止めました。

また、「和」という字は、「和やかに皆で力を合わせる」という意味で、お戒名に使われることも多い良い文字です。浄土宗では「南無阿弥陀仏」の「お念仏」を一番の修行としておりますが、日ごろの心がけとして「明るく、正しく、仲良く(和よく)」という言葉をお勧めしております。偶然にも「明治・大正・昭和」の年号と重なる言葉です。

しかし一言に「明るく、正しく、仲良く」と言っても、簡単なようでなかなか難しいことではあります。しんどい時に明るく振る舞うのは却って辛いですし、何が正しいかは立場や時代によって違い、仏様にでもならない限り本当のところは分かりません。人の悩みのほとんどは人間関係だと言われるくらいで、全ての人と常に仲良くすることは人の身では不可能なことです。

ですが、辛い思いをしている方を、周囲の方が明るく支えることで、ご本人も徐々に心が明るくなることもあるかと思います。自分が「正しい」と思いこまず、人それぞれの事情があるかもしれない、自分は本当に正しいのだろうかと思うことで、お互い争う場面が減るかもしれません。周囲の人とうまくいかず、自分はひとりぼっちだと思える時でも、「南無阿弥陀仏」とお念仏をしてくだされば、阿弥陀様は必ずお気持ちを汲み取られ、極楽浄土の皆様に届けてくださいます。そして、「思い出してくれてありがとう。心を手向けてくれてありがとう」という温かい気持ちが返ってくるのが、極楽浄土という場所でございます。阿弥陀様はお念仏をする方を決してお見捨てになることはありません。

「明るく、正しく、仲良く」という言葉を心に留めていただくことで、皆様の毎日がより温かく、和やかな日々になりますようご祈念しております。

合掌