塵(ちり)を払い、垢を除く

聖号十念

少しずつ身軽な服装で過ごせる季節となりました。病という災いの中、皆様日々を堪えてお過ごしのことと拝察いたします。日本仏教では、法然上人の御忌や花まつり(お釈迦様の誕生祝い)を含め、全ての行事が中止となりました。今月は毎月20日の投稿より少し早めて記事をお届けいたします。

本日は、お掃除で悟りを啓かれたお釈迦様の弟子、「周利槃特(しゅうりはんどく)」についてお話をさせていただきます。

奈良 萬福寺 周利槃特像

周利槃特は物を覚えることが苦手で、お経の言葉一つ覚えることができず、自分の名前すらたまに忘れるほどでした。優秀な兄と比較され、いつもバカにされていました。本来ならば、仏弟子にとって「人の悪口を言う」のは罪ではありますが、仏弟子といえど色々な方がいたのでしょう。

ついに兄にまで、お釈迦様の教団を去るように言われた周利槃特は、お釈迦様に申し出ました。「こんな愚かな私はもうここにはいられません」。どんなにみじめで辛い気持ちから出た言葉だろうかと拝察します。

お釈迦様は応えました。「あなたは物を覚えるのが苦手なようだから、この箒(ほうき)を持ってお掃除をなさい。その時『塵を払い、垢を除く』と唱えるように」と。

周利槃特はお釈迦様の言葉を受け止め、毎日ひたすら掃除を続けました。十年、二十年と時が経ち、いつしか彼をバカにする人は誰もいなくなりました。

そしてある日、「毎日降り積もる塵や垢は、自分の心に毎日降り積もる煩悩(ぼんのう)と同じなのだ。掃除をすることは、自分の心を清めることと同じなのだ」と気づき、悟りを啓かれました。

お釈迦様は弟子を集め、こうおっしゃいました。

「自分が愚かだと知っている人は、智慧(知識ではなく、どんな時代でも変わらぬ真理)を知る人です。自分が愚かだと気付いていない人が本当の愚か者なのです」

「悟りを啓くために必要なのは多くを知ることではありません。小さなことでもとことん突き詰めることです。周利槃特は小さなことでも徹底して勤めたから悟りを啓くことができたのです」

浄土宗ではこのお釈迦様の言葉を享け、「お念仏が第一ですが、掃除は大切な修行の一つ」と教えられています。

掃除とは時に面倒な作業でもあります。片付けた先から家族に散らかされてしまい、むなしい気持ちになることもあるでしょう。(私も母には散々面倒をかけました。)

ですが、掃除とは大切な修行の一つなのだ、自分の今している作業は尊い行いなのだと思っていただければと存じます。掃除を通じ、皆様がご自身や家族の健康を守り、ひいては社会の健康を守ってくださることに感謝しております。

また、「垢を除く」ことも貴重な修行です。おっくうかもしれませんが、手を洗ったり入浴をすること、入浴のお手伝いをすることもまた、尊い行いです。身を清めることで、健康だけでなく、心も洗っているのだという気持ちでお過ごしいただければと存じます。

日々色々な情報が流れる時節ではございますが、どうぞ皆様ご自愛ください。諸仏のご加護を心より祈念いたしております。合掌

天災地変 殉難横死 三界萬霊 有縁無縁 乃至法界 平等利益   南無阿弥陀仏