皆様こんにちは。副住職の石井綾月です。
本日は、「地蔵菩薩」と題しまして、皆様にもおなじみの、お地蔵様についてお話をさせて頂きます。
画像資料として、大きいお地蔵様の立像と、小さいお地蔵様が6つ彫られた像をごらんになりながらお読みください。

この二つの像は当山にいらっしゃるお地蔵様です。当山墓所の、寺門に一番近い区画に入ってまっすぐ突き当たりに大きなお墓があります。そこが松光寺の由来になっている、松光院殿さまのお墓なのですが、その手前、左側に立っていらっしゃるのが大きいほうのお地蔵様、そのお隣にいらっしゃるのが、六体のお地蔵様を彫った、六地蔵、という石像です。
お地蔵さんというのは、正式なお名前を地蔵菩薩と申します。浄土宗のご本尊の阿弥陀仏の脇侍として登場なさる、観音菩薩様、勢至菩薩様と同じ「菩薩」という仲間です。この「菩薩」という言葉は、インドのサンスクリット語の「ボーディ・サットヴァ」という言葉がなまったもので、「悟りを目指す者」という意味がございます。
阿弥陀様や、お釈迦様のように悟りを開くところまでは行っていないけれども、長年仏様を目指して修行をしてこられた方々なので、例えば大きい兄や姉が、幼い弟妹の手助けができるのと同じように、世の中の人を助けるさまざまな神通力を持っていらっしゃる、そういう方を菩薩とお呼びしているのです。
しかし、同じ菩薩の仲間という割に、このお地蔵様と観音様で、大分お姿が違います。観音様は、どちらかというときらびやかな格好をしていらっしゃいますが、お地蔵様はお坊さんのような格好をしています。その理由は、それぞれの菩薩様の元になったモデルが違うからです。観音菩薩様、勢至菩薩様は、出家して修行の旅に出る前のお釈迦様がモデルです。お釈迦様は、出家される前はインドの国の王子様でしたので、服装も豪華で色んな飾りやアクセサリーがついています。ですが、お地蔵様は、旅のお坊さんの姿をしています。身軽にどこへでもお出ましになり、ありとあらゆる場所で、人々の苦しみを救ってくださるというのが地蔵菩薩様だからです。ただ、普通のお坊さんの像とは違い、額に阿弥陀様や菩薩様と同じく、白い印があります。これは白毫といい、長い白い毛が丸まったもので、ここから光を放って人々を救うといわれているのです。
さて、このお地蔵様が出てくるお話で一番有名なのが、昔話の笠地蔵です。聴きなれたお話ではありますが、かいつまんであらすじを述べさせて頂きます。
貧しいおじいさんが、年の暮れに、新年を迎える品が何もないので、笠を作って町に売りに出かけます。ですがさっぱり売れず、仕方なく家へと戻る途中、村の境にお地蔵様たちが、雪をかぶって立っていらっしゃいました。「これは寒そうだ。どうぞこれをお使いください」とおじいさんは売り物の笠をお地蔵様に差し上げます。ところが、笠が一つ足りません。おじいさんは自分がかぶっていた笠も取り、雪を払ってお地蔵様にかぶせて差し上げました。自宅に戻ったおじいさんがこの話をおばあさんにしたところ、おばあさんは一言もおじいさんを責めることなく、「それは善いことをなさいましたね」とねぎらいの言葉をかけたそうです。さてその晩、夜中に表でドサドサという物音がしました。おじいさんが扉を開けると、そこにはお米や野菜やお金が山と積まれており、驚いて周りを見渡すと、遠くのほうに人影が去っていくのが見えました。その人は、まさにおじいさんの手作りの、笠をかぶったお姿でした。頂いた品々のおかげで、おじいさんとおばあさんは、無事に新年をお迎えすることができたということです。
「何の見返りも求めず、仏様に良いことをすると、回り巡って良いことがありますよ」というお話でした。
このお話に出てくるお地蔵さんの数は、地域によって違いがあり、例えば年の瀬なので、新年にお出ましになる七福神と同じ7人だった、という説もありますが、一番多いのが、6人いらっしゃったという説です。
この「6」という数が、画像にある6つのお地蔵さんの像につながります。6人のお地蔵さんが、様々な道具を持っているのがご覧になれるかと思います。
では、なぜ「6」人なのかというと、これは「六道輪廻」という教えから来ています。「輪廻」は英語でリーインカーネーション、とも言いますが、「生まれ変わる」という意味です。
古いインドの教えでは、人が亡くなると、その人は四十九日までの間に、一週間ごとに7回閻魔大王の裁判を受けて、その結果によって、6つの世界のうちどこに行くかが決まる、と言われています。
詳しく言うと長くなってしまうので、簡単にご説明しますと、まず一番楽そうなところが、「天」。天女、天人という美しい人たちが沢山いて、寿命も長く、嫌なこともなくずっとハッピーに暮らせる、というのが「天」という世界です。最高の場所に思えますが、この世界には一つ欠点がありまして、「幸せすぎて、何も持っていない人の苦しみが分からない」のです。何事も、良い面ばかりではないということですね。
次が「人」。これはヒトという字で、私たちが生きている世界です。色々と辛い四苦八苦もあるけれど、その分楽しいこともあるし、人の言葉が判る分、仏の教えに出会って、救われるチャンスがある、というのがこの「人」という世界です。
次からだんだん雲行きがあやしくなってきます。三番目は、「修羅」。ここではみんなが常に争っている戦いの世界です。「修羅の道」といいますが、ここを指します。
さらに下って、「畜生」。これは動物の世界です。飼い主に心から大事にされ、家族同然のペットであれば幸せかもしれませんが、ほとんどの生き物は、本能に振り回され、弱肉強食の中で短い命を終えてしまいます。
次は「餓鬼」。いつもおなかがすいていて、食べ物を食べようとしても口に入れる前に燃えてしまい、飢餓に苦しむ世界です。
最後が「地獄」。色々な種類がありますが、もっとも重い罪を犯した人が罰を受ける世界です。皆様が今心に浮かべられたイメージで大体あっています。血の池だの針の山だの、地獄絵図を見るといかにも恐ろしげです。
昔の人はこのように、「こんな風に悪いことをすると、怖いところに行かされるから良いことをしなさい」と子供に教え、自らをも戒めていました。
ただ、浄土宗では、亡くなった方はみな、阿弥陀様が極楽浄土へお招きくださいますので、この六つの道に生まれ変わるということはありません。ですがその代わりに浄土宗では、この六つの道は、今生きている私たちの心の状態でもあると教えられております。苦労知らずで、人の辛さが分からないとか、四苦八苦に苦しんでいるとか、いつも競争で心が休まらない、これは今のご時勢だとよく言われています。本能のままに生きて、周りに嫌われてしまう人もいますし、自分のためだけに財産をかき集めていつまでも満たされない人、そして生き地獄のような状態で生きている人もいます。
ですが、この6つの世界に、救いの光を照らしてくださるのが地蔵菩薩です。どんな立場の方もお救いするため、6つに分身しておられるのです。極楽浄土をお作りになったのが阿弥陀様だとすれば、今ここに生きている私たちの小さな悩みに寄り添ってくださるのがお地蔵様なのです。
ですから、日ごろのちょっとしたお願いなどがあれば、お墓参りにおいでになったときなどに、お地蔵様にもお手をお合わせ頂ければと思っております。
そんなわけで、菩薩様はいつも皆様のそばにいて、一緒に歩んでくださっています。心細いとき、不安なとき、ふとさびしくなったときにも、お地蔵様が一緒にいると思い出していただくことで、皆様のお心が楽に、楽しくなれば、僧侶としてとてもありがたく思います。本日は、ご仏縁をありがとうございました。


