聖号十念
長い間更新が滞っており、こちらにご連絡頂いた有縁の方々、
ご来訪いただいていた方々にはご迷惑をおかけいたしました。
震災以降、良いテーマにしろ、悪いテーマにしろ、
何を取り上げても、どなたかを傷つける結果になるのではないか、
自分の功名心の表れに過ぎないのではないか、など、
懊悩というには瑣末な迷いにとらわれ、そのうち迷いから目をそらす為に更新も怠る、という情けないループに陥っておりました次第です。
ですが、この1年、様々な方からお言葉をいただきまして、
ふがいない身ながら、ようやく近況をお伝えすることができるようになりました。
震災当時ですが、当山は灯篭が倒壊したこと以外大きな被害はございませんでした。
私はちょうど、近々のご法要のために客間でお塔婆を書いていたのですが、
揺れが収まらないので、避難路のため窓を開けようと立ち上がったところ、
立てかけてあった大きな額が倒れ、丁度そのとき書いていたお塔婆が二つに折れました。
今となっては、私の身代わりになってくださったのかもしれないと感謝しております。
庭に出たとき、電線が音を立てて大縄飛びの縄のようにしなっていたことが今でも記憶に残っています。
父は勤務中、母は運転中、妹は地下鉄から地上に出る途中、甥姪は保育園で被災しましたが幸いに無事でした。
友人全般に連絡を取り、一人以外は無事を確かめることができました。
親族が帰宅困難者になり、携帯電話の電源が切れてしまったので、公衆電話に列を作って21時過ぎに連絡が来ました。
かろうじてメールが使える状態で、母が車で迎えに行き、私は公衆電話からの連絡を母の携帯電話にメールで伝えるため、
テレビで津波の中継を見ながら終夜待機しておりました。
当たり前のことが当たり前でないということを、どこかに刻印されました。
母が戻ってこられたのは朝の4時過ぎでした。
ご法要とお彼岸まで間がありませんでしたので、ブログだけでもと更新し、
仙台、茨城にお住まいの方もご無事だと伺いまして、少し安堵したのですが、
当山の冷暖房交換、破損部の修復、インターネット整備などを利益度外視でお布施の工事をしてくださった、茨城県北部在住の友人に全く連絡が取れない状態が続き、一週間過ぎまで無事をお祈りすることしかできませんでした。
SNSで無事が確認できましたが、2週間、水も食事もほとんどなかったそうです。
(現在その方は無事に回復され、復興事業に尽力しておられます)
震災を通じて、何度も無力感を味わいました。
浄土宗青年会では、多くの僧侶が被災地で支援活動をしていますが、
私を含め全ての人が被災地で活動できるわけではありません。寺務があり、家事があります。
私は主だった特技や資格もなく、治安や衛生レベルの低い場所ではかえって人様にご迷惑をかける存在です。
長い間お寺や家を空けることもできず、忸怩たる思いでございました。
ですが、2010年6月17日の記事の、カール・ベッカー先生の言葉が思い出されました。
「日本人は完ぺき主義すぎて、自分が誰にも迷惑をかけないという保障がないと
人の助けになるための一歩が踏み出せない」
ひょっとしたら、自分は、「誰かに全くけなされることなく完璧に美しい形で」じゃないと誰かの応援ができないと思い込んでいるのではないかと、思いました。
テレビや記事に取り上げられるような華々しい話題性のある、見栄えのすることじゃなくても、ただ、やるべきことを粛々と、きちんとやるということも、復興の礎となれるのではないかと。
その後は、お寺と家の仕事をしつつ、お手伝いできることはなるべくお手伝いする、という立場でこの1年を過ごさせていただきました。
有り難いことに、宗門外の文筆業界の方々にお世話になる機会や、
海外(スウェーデン)の方に浄土宗をご紹介する機会、宗門の企画や事務に携わる機会など、様々な経験をさせていただくことができました。
そのような中、東京教区傘下の、教宣師会(僭越ながら私が副会長を務めております)の研修会の一環と致しまして、
「法務研修と、女性教師(女性のお坊さんのことです)のご教授を頂く会」に参加させていただきました。
講師として、浅草の由緒あるお寺のご住職をお迎えいたしました。
ご住職には初めてお会いしましたが、60代の、とても生き生きしたバイタリティ溢れる、気さくな雰囲気の先生でした。
舞台芸術に携わっていた方だったのですが、海外諸国を飛び回るご活躍の様子はまるで夢のようで、
それだけでなく、名門のお寺を継いでからのご苦労、プレッシャー、女性ならではの気遣いなど沢山のことを、
お写真を交え、和やかな雰囲気の中で教えていただきました。
聴衆の前で堂々とお話なさる姿はまさに演劇人、という印象でありましたが、晋山式(住職の代替わり)の時は、多くの先輩方とお檀家様の参列でほとんど記憶がおありでなかったそうです。
私も、未だにお檀家様方を目の前にすると、緊張いたしますので、共感してお話を拝聴しました。
研修会後、質問の機会がありましたので、震災以来ずっと心にかかっていたことを、質問させていただきました。
「私は僧侶として、人様に自信を持って言って差し上げられることが思い当たらず、いつも自分は未熟だと思うのですが、
先生はどうやって乗り越えていらしたのですか。」
先生は、お日様のようにおおらかに、あははと笑って、おっしゃいました。
「そんな自分が自信を持つなんて瞬間は一生こないですよ。そんなの待ってたら絶対来ません。
だから、自分がダメだと分かってても、その自分でそのとき発信していくしかないのですよ。」
このお言葉が、たとえ無力な私でもと、ブログを再開させていただくきっかけになった言葉の一つです。
もう一つ、私の背中を押してくださった言葉は、
お檀家様の、「ちょくちょくブログ拝見していて、楽しみにしているのですが、最近更新しておられませんね」というお言葉です。
まさか定期的にいらしてくださってるとは思わず、長らく失礼を致しました。
今までの私は、完璧で素晴らしくて誰も傷つけない、誰にもケチがつけられないような記事を書かないと、書けないと、
自分の中の何かが損なわれるとどこかで思っていたのかもしれません。
功名心を出さない自分を作り上げるという功名心に囚われていたのかもしれません。
沢山の方のお言葉のおかげで、今の自分があります。
所詮人なんか言葉でなんか分かり合えない、人は死ぬときは一人だ、死んだらただの肉だ、という寂しい言説もありますが、
私は、だからこそ、私の蒙を啓いてくださる言葉を稀有のものとしてありがたく感じます。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
合掌
與芝 綾月


